奥沢城址(現浄土宗九品山唯在念仏院浄眞寺) 前回戦国時代迄の奥沢と早春のつどいレポートに鷺草伝説を書いたので、今回は奥沢城址(現浄土宗九品山唯在念仏院浄眞寺)についてまとめたい。 浄眞寺は境内12万㎡(3万6千坪)を要し、武蔵野の面影を残しているが、これは4代将軍徳川家綱公治世延宝6年(1678年)珂碩(かせき)上人が開山したとき、廃城となり荒れ果てていた奥沢城址を幕府から賜った為で、昔の様子を良く保存することができたと言える。現在は公園予定区画となっている。 現浄眞寺は旧奥沢城の内曲輪をそのまま寺域にし、本丸、二の丸、三の丸等に相当すると思われる区域に別れている。 一方外曲輪にあたるところは、言い伝えによると産業能率短期大学の辺りに北門が在ったと言われている。北門までの間は中丸、下中丸、北側の湿地帯は台場、影谷、山下、城向、鷺の谷、南側の台地から国分寺崖線にかけて城前、千駄丸、大坊野、…