昔のこと
 奥沢2丁目 大谷 初子

第48回 2012.8.9

 昭和26年、親子三人、この地(奥沢二丁目…当時は一丁目)に居を定めました。隣接する今の奥沢保育園がある場所は、畑で肥溜めがありました。奥沢神社から緑ヶ丘駅に通じる道は、車はもちろんのこと、夜ともなると全く人通りが絶えるさみしい道でした。

 ある日の夜中、パタパタと音がして目が覚めました。戦後のまだ物騒な事件が起きていた頃ですので、緊張し、夫が箒を構え、私がさっと戸を開けると、飼っていた子犬の鎖が外れて濡れ縁を走る音でした。今では笑い話ですが、それほど怖いくらい静かなところでした。

 現在の交和会は、以前は婦人会運営の卵やお菓子を売るお店があり、婦人会の奥様方が交代で店番をしていました。その向かいは、タバコ屋さんで、いつもきちんと着物を着たおばあさんが、数匹の猫とお店番をしていた姿が昨日のことのように思い出されます。通りを挟んでの向かいは、八百屋さんと魚屋さんが並んでありました。

 交和会とタバコ屋さんの間の道を緑ヶ丘方面に行き、大井町線の高架をくぐり右へ曲がったところに、長男が通った幼稚園がありました。4歳児の長男が、10円玉を握っておまけつきのグリコのキャラメルを買いに行っても、何の心配もいらない町でした。子供たちの声が、にぎやかに響く町でした。

 その長男も還暦を過ぎ、家も私たち夫婦も老いぼれました。

 奥沢駅には、踏切を守る旗振りのおじさんがいました。今、駅前は噴水ができ、おしゃれになりましたが、都心に出て奥沢駅に帰り着くと、昔同様ほっとします。駅の階段がなく、少し行けば、草花を大切にする家々に心が和みます。大きな欅の木や、我が家にもあったモミジの大木など、家の建て替えなどで、姿を消すことはさみしいですが、緑を守る会のように、この町を大切になさる方々がいてくださることは、本当にうれしいことです。