奥沢に移り住んで
 奥沢2丁目 木村 陽子

第44回 2011.8.7

 不思議な縁に導かれ、奥沢の地に移り住み半年が経ちました。最初「オクサワって何処?」と言った田舎者でありますが、人情味溢れる地域の方々に支えられながら、根を下ろしつつあります。自宅ではお向かいの庭の木々をお相伴させて頂き、外に出ると様々な草花に目を奪われ、「東京という都会の中で、なんて緑が多い所なのだろう」と驚嘆の毎日を送っています。

 3.11震災の筆舌し難い被害を思い沈みがちな日々を送っていた中、春の寄せ植えをしようと、我が家の細やかなテラスで土に触れると、何故か気持ちが落ち着き、今更のように、人は土や緑と離れては生きていけないことを気付かされました。

 その後、ある方が何でも手に取ろうとする好奇心旺盛な息子を見て、「物って単に見ただけでは分からない。手に取って反対側を見ると違った形だったりするから触れて感じたいのね。知らないと見えてこない物もある。花の名を知らないと全て花でしかないけれど、学ぶと、すみれ、向日葵、秋桜、水仙、と世界が広がるわね」と言われ、子供は五感全てを使って未知の宇宙を感じ取ろうとしているのに、四季の花の名前も覚束ない自分はなんて無知なのだろうと子供から教えられた一コマでした。

 日々の生活の中で緑の香りや色、通り抜ける風などを感じ、知ることで、自ずと自然を愛する心が生まれるのではないかと思います。常に緑を慈しまれている奥沢の方々に敬服するばかりです。

 震災直後、大型店で商品棚が空っぽの状態を目の当たりにし、途方に暮れかかった際、普段通り営業を続けた商店街の方々の笑顔に勇気付けられました。「家は米屋だから米はあります、大丈夫ですよ」と優しく応対して下さった米屋さん、「震災翌日、お客さんはゼロでしたが通常通り営業していました」と話された花屋さん、「大豆だけはしっかりと蓄えてあるから店は開ける、心配ないよ」と励まして下さった豆腐屋さんなど、○○屋さんが消えていく昨今、その看板を守っていこうとする方々の気概に強く感銘を受けました。

 今回の震災を通じて、「人は一人では生きていけない、地域社会の見守り無しには、子供を守っていけない」と痛感させられました。もし今後、災害に見舞われることがあったとしても、それを乗り越えられる力が、歴史深く、緑豊かで、人情厚い奥沢にはあると感じています。 現在、知りあいも増え、「奥沢に越して来て本当によかった」と思いつつ育児をしています。息子に気さくに挨拶を交わして下さる地域の方々に見守られながら過せることを幸せに思うと同時に、「出来る時に出来る事を」を胸に、今後何か地域の皆様にお返しが出来ればと願う毎日です。