第46回 2012.1.21
流れゆく 大根の葉の 早さかな
高浜虚子
俳句の初心者を前に講師は、この句を良い句のお手本として黒板に書かれました。
お百姓さんが抜いて来た大根を小川でせっせと洗っています。時々ちぎれた葉が流れます、静かな小川なのに思わぬ早さで葉は流れて、もう小橋の向こうまで流れて行きました。
この句はこのような光景を詠んだのでしょうか。九品仏の吟行の折りの句だと聞いたことがあります。とするとこの小川は九品仏川でしょう。この句の詠まれた時代からずっと後のことになりますが、私は美しかったこの川を今も覚えています。
単身赴任などはない時代で、父の転勤の度に家族揃って引っ越しをしており、東京に戻った私は八幡中学へ転入学しました。
その頃は木造の校舎と校庭の他は何もない学校で、校庭の霜柱は見事なものでした。
学校の前に池があり九品仏はその向こうにあったのです。池の周りには水面を薄暗くするほど木が茂っていて、たっぷりと湧いた水は九品仏川に流れていました。
学校から自由ケ丘方面に帰る道は何本かありましたが、たまに友人とおしゃべりしながら、九品仏川沿いに帰ることもありました。
畑はもう少なくて殆どは住宅でしたが、あるとき川沿いの畑一面に咲く菜の花を見て感激したことがありました。その後また父の転勤で奥沢から離れ、菜の花畑を見たのはこの時だけになりました。
池が埋め立てられ住宅地になったと聞いたのは何時だったでしょうか。いま住宅地はしっとりと落ち着いた良い町になっています。先日ここを歩いた私は浦島太郎のような気持ちになってきました。
奥沢の町はどんどん変わっていて、四年前に帰った来た私は時々知らない町をさ迷っている気分になるのです。