第63号 2016.4.21
松居さん姉弟は平成25年まで奥沢2丁目の伝統的な和風住宅(昭和12年建築)に住んでおられました。取り壊しの時、弟の明夫さんから相談を受けた昭和女子大の堀内正昭教授が松居邸の調査研究を実施されました。
高校を卒業したばかりの恵子さんと11歳下の明夫さんは昭和 31 年に九州からこの家に越して来られました。この頃の奥沢の景色やお付き合いのお話しをお聞きしました。
その頃の、海軍村のあった奥沢 2 丁目はまだ土地の分割が余り進んでおらず、広いお家の玄関前には、棕櫚の木を背景に、白いビーナス像と大きなシャコ貝(ボッティチェリのヴィーナス誕生!)が置いてあり、シャコ貝の水鉢にはスイレンの花が咲いていたのが印象的だったそうです。
また松居邸の道路側の角には、落ち葉を燃しても殆ど燃えないシイの巨木があったそうです。(堀内教授報告書の植栽図にあるマテバシイと思われます。)近くには池があったりして、今とは比較にならないみどり溢れる界わいだったそうです。
みどりを守ることに話が及ぶと、大きなマツや庭木のメンテナンスには、古い住宅の維持も合わせると膨大な経費がかかり、緑化は安易にはできないと仰ってました。
恵子さんはまだ幼い明夫さんを連れてよく散歩されたそうで、当時の田園調布駅西側の半円形の街区には、バラの植込みと池以外は殆ど店はなく、唯一のお店ジャーマンベーカリーでアップルパイを食べるのが楽しみだったそうです。
父上が保険会社に勤務されており、お付き合いの広い裕福な家庭に育ったようで、奥沢には長じてからも互いに助け合える気のおけないお友達が多く、淵野辺に引越されてもなお度々遊びに来ておられるとのことです。