第28号 2007.7.26
奥沢2丁目の大井町線踏切(緑が丘1号踏切)を越え北へ坂道を下ったところで出会う区境の遊歩道(九品仏緑道)は、ふだん薄暗いさくら並木だけに花の頃の華やぎはまた格別です。
父の最後のお花見となったのはこの場所でした。
我が家から300m余、老い呆けた父が杖を引き引きようやく歩み着ける限度が此処までだったのです。
少し前、開花宣言を待ち焦がれながら入院した母のことは伏せてありましたが、それとなく察してガックリ気力を萎えさせた父を、何とか騙し励まして元気を取り戻させたいと思いむりやり此処まで連れ出したのでした。
しかし30分も費やしてやっと辿り着いた父はもうすっかり疲れ果て、並木道を逍遥するどころかベンチにへたり込んでただ喘ぐばかり、昔だったら俳句の二つ三つもひねって得意顔をするところでしょうに、今は半分目を閉じた青白い顔をあお向けて、その額や頬に散りかかるさくらの花びらの一片一片が父の生気を吸い取ってゆくように感ぜられました。帰り道は案の 定途中で足が一歩も前に出なくなり、仕方なく背中に負ぶう破目になりましたが、「軽きに泣きて・・・」どころかまだズシリと充分に重たく、首筋にかかるくさい息にも辟易しながらほうほうの態で玄関先に倒れ込んだのでした。
独りよがりの思いつき、押し付け親孝行の苦く悲しい思い出です。
それから間もなく葉桜の頃先ず母が逝き、その年の暮には父も後を追いました。
その後も毎年さくらは一層妖しさを増し華やかに咲いています。