日暮れのジャガイモ
 奥沢2丁目 香山 万理恵

第14号 2004.1.1

 私は奥沢で生まれ育ち、今も同じ場所に暮らしています。

 私の子供時代―昭和30年代初めの奥沢には、田園の雰囲気が色濃く残っていました。緑の垣根に囲まれた家々は、幅広の窓や縁側、さりげなく手入れされた庭を持ち、街全体に、節度ある解放感と穏やかな調和がありました。庭先に鶏舎を造っているお宅も多く、コッコッコッというのどかな鳴き声が、いつもどこからか聞こえていました。道路は未舗装で、大井町線の線路脇の土手には、春になると土筆が顔をだしました。木造の家並みや連なる垣根、土の道路に落ちる光や影は、コンクリートやアスファルトに射す今のそれよりも、ずっと、やわらかかったような気がします。

 特に忘れられないのは、隣家の石井家で味わった「焼きジャガイモ」です。

 旧家である石井家には、二十数年前まで、母屋に隣接した広い畑がありました。とうもろこしやトマト、 きゅうりなどが植えられ、竹林やお茶の木が取り囲んでいるその畑を、当時の当主であった伊之助さんが日がな一日、野良歌を口ずさみながら耕していらっしゃいました。伊之助さんのお孫さんと同年代の私は、毎日のように石井家に遊びにいき、池や築山のある母屋の庭を駆け回っていました。

 私たちが遊び疲れた頃、畑仕事を終えた伊之助さんは母屋の脇の納屋に入り、かまどに火を入れて夕餉のご飯を炊きはじめます。日暮れの気配が忍び寄るなか、納屋のガラス戸に映る炎の照り返しに誘われるように私たちが入ってゆくと、伊之助さんはかまどにくべておいたジャガイモを火かき棒で取り出して、「ほら食べな」と渡してくれます。燃料の枝がはぜる音、ご飯が ぐつぐつ炊き上がる匂いの中で食べるジャガイモはほくほくと熱く、胸奥まで温まる格別な味でした。

 近年、「高級住宅地」と形容される奥沢ですが、人々の心には郊外生活者の素朴さとのびやかさが、今も息づいている気がします。

昭和32年の自由が丘駅前の風景
東急プラザビルができる前、右が三井銀行です。