第13号 2003.10.12
今では土の道など緑道以外では見つけるのが難しいが、昭和30年代のはじめ親の代のとき当地に引っ越してきてしばらくの間は、わが家の前の道路は砂利を敷いた土の道であった。勝手口の木戸の横にはコールタールのにおいがする黒い木のゴミ箱が鎮座していた。暑い夏の午後、どこかから氷屋がのこぎりで氷を切る音が涼しげに聞こえてくる時代であった。
ご近所でも大きな木が多く、隣家にはイチョウの大木がありわが家にも数本のヒマラヤ杉が生け垣に沿って立っていた。庭には泰山木や梨が白い花をつけた。北隣りは空地で風呂場の窓ごしに雑木林が眺められた。自由が丘の駅に向かう角をまがった道も砂利道で、大雪の降った日には庭の竹が雪のおもみに堪えかねて道にしなだれかかり、行く手をふさいでいたことが思い出される。大きなスダジイが道路におおいかぶさるようだった曲がり角のお宅も最近モダンな家にかわり、界隈が吹き抜けるような明るさになった。玄関の横にきまって応接間のある木造家屋の「文化住宅」が庭木をめぐらして続き、豪奢ではないが余裕のある堅実なたたずまいの中で、ゆったりした時間が流れているというのが私の奥沢二丁目の心象風景である。
このあたりは東急線の駅から近く便利であったが、最近は乗り入れが多くなり足場は一段とよくなった。かつて奥沢の駅は改札口は南側にしかなくて、構内の線路を渡って目黒行きのホームにのぼった。無論けやき広場はなく、アーケードのように商店が並んでいた。緑道はまだ無くてコンクリートの護岸の底を川が流れており、現在の東急ストアのところには東急電鉄の保 線区の事務所が建っていた。自由が丘駅の南口はなかったように思う。
この「通信」を拝見していると奥沢にはまだまだ昔の雰囲気を残している場所があり、住んでいる人達のご努力の賜物だと思う。心のやすらぎを覚えるこの地域のよさはいつまでも大事にしたい。