第51回 2013.4.30
本年1月奥沢2丁目にお住まいの関誠三郎さんが102歳で亡くなられました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
大ケヤキのある散歩道のほぼ真ん中、大きなヤマモモとサザンカの生垣のある関さんのお家は、お向かいのスダジイとアカメモチの生垣のある平井さんのお家と対をなして昔ながらの奥沢らしい風景を形作っています。
関さんと知り合ったのは、小生が入会後間もなくの「秋のつどい」で講演を聴いてからでした。その頃関さんは、もう95歳以上でしたが毎朝ご自宅から一人で奥沢交和会館の前まで歩き、会社までタクシーに乗っておられました。会館のすぐ裏手に住む私を見つけると笑顔で声をかけてくださる気さくな会長さんでした。やがて自宅前から出るタクシーから笑顔でご挨拶を頂きましたが、最近はお会いしていませんでした。
設立後まだ日の浅い当会の活動に深い理解を示され、つどいでお話頂いたり、会社の食育についての研究所にお招き頂き食のセミナーと楽しい食事会をして下さいました。お話では会社の経営姿勢が印象的でした。
関さんの会社は企業等から職場の集団給食を専門に請け負う事業を行っています。操業は昭和13年で当時はこの業種はなく今でいうベンチャー企業だったそうです。軌道に乗るまでの運転資金の確保や、戦前の米の配給制度化や、戦後のオイルショックの時の食材供給危機を、従業員、業者や顧客への誠意ある対応で解決しながら順調に業績を伸ばしてきたそうです。この間関さんは会社のあり方、会社は誰のためにあるのか・・を考え続けてきました。
結論は、関さんの自著のタイトルでもある「会社の心」でした。会社は、株主、社員、社会の何れのためにもあるということを、関さんは愚直に実践してこられたのです。企業利益の半分は税金にあて、残り半分の利益のうち約9割を積立金に当て、残りを配当・役員賞与としています。積立金もその一部は食育の研究所のような社会啓蒙のために当てられたそうです。因みに会社は納税優良申告法人第1号に認定されたそうです。
この経営哲学は「日本資本主義の父」と言われた渋沢栄一の考え方を取り入れたものだった様で、渋沢栄一の言葉「国家社会のために尽くすのは、すなわち天の使命を行うものであるという信念があるならば、よし一身一家の利益を犠牲にすることがあっても、むしろ愉快に感じこそすれ、苦痛に感ずる筈はない。」を引用しています。
関さんのお祖母さんは渋沢家の女中頭だったと言う縁があり、関さんも若い頃から影響を受けていたようです。
今時のグローバル企業でゼニ儲けだけに走り、経営のおかしくなったどこかの大企業さんに聞かしてやりたいお話ですね。
渋沢さんと言えば大正時代の末に大都市化しつつあった東京の郊外に、新しい生活拠点の確保を目指し当時の欧米でも最新の田園都市構想を導入し、田園調布や洗足開発を行った経営者でもあります。やがてこれに啓発された旧玉川村(今の玉川地域)の後に村長となる豊田正治がリードする民間ベースの「玉川全円耕地整理」事業により、東は奥沢から西の用賀に至るまで殆どの地域が碁盤の目状の道路で構成され玉川地域らしい景観が形成されています。この元を築いた渋沢栄一と奥沢2丁目に住まわれた関誠三郎さんが、同じ地域であったことに住民として一つの感慨を覚えています。