第53号 2013.11.5
私の家は、祖父が昭和8年の4月に大田区の梅屋敷から奥沢の銀座通り商店街に引越し理髪店を開業して今年で八十年になりました。お店の屋号『理髪ヤング軒』は母方の祖父が大正七年に当時の赤坂区青山で開業したお店から頂いたもので、昔はちょっとお洒落な屋号だったそうです。戦時中はYOUNG KENというローマ字が使用できずに大和と名のった時期もあったそうです。昔の理髪店はお客さんが客待ちで囲碁をしたり、子供は頭も刈らずに漫画を読んだり、のんびりしていたそうです。
戦後父の代になり飛行機好きな父は、店の脇に模型飛行機の店を始め、本人も休みの日には多摩川でラジコン飛行機を飛ばしていました。私も模型作りの手伝いをして多摩川に連れて行ってもらいました。
当時店にはお弟子さんが七、八人いて両親と朝から晩まで忙しく働いていました。商店街もお店が沢山あり、お店ごとに正月は門松、お祭りは提灯などの飾付けをして朝早くからお店が開いていたのを思い出します。商店会も盆暮れには福引き、七の付く日のセブンセール、騎馬隊のパレードなどイベントがあり、四十年代には買物通りとして歩行者天国が始まり、世田谷区のモデル地区として、各お店が花や植木で飾られてとてもにぎやかでした。
私が父と一緒に働くようになった五十年過ぎからは少しお店が閉店してちょっと静かな街に成りましたが、今でもこの通りは何か温かみのあるほっとする街だと思います。これからもこの奥沢で仕事を続けて行くつもりです。