奥沢郷土史研究家 鈴木宗氏(奥沢郷土研究会会長)、大谷修二氏(奥沢物語著者)
奥沢には数年前迄、世田谷区誌研究会とは別に奥沢郷土研究会があった。会長は奥沢の歴史に大変造詣の深い4丁目の鈴木宗氏で、区誌研の理事や区教委文化財指導員をしており、奥沢出張所の後援のもとに何度か奥沢の史跡巡りを実践していたようである。
まちめぐりの栞には、浅野浩氏、甲府方鈴夫氏、矢花静真氏、石井一正氏、野口末吉氏(講師)などが史料提供をしていた。その栞は奥沢出張所の2階コーナーにまだ保存されているかもしれない。鈴木宗氏は奥沢神社の氏子総代もしており、奥沢神社史は鈴木宗氏が編集に当たられたようである。それらとは別に大谷修二氏により『奥沢物語』が書かれている。お目にかかれないうちに奥沢の歴史に詳しい方々が亡くなられていって残念である。
その他公的機関や銀行や商店街等の各企業出版物には色々載せられているようである。その中で特に取り上げておきたいのは、奥沢台遺跡と諏訪山遺跡発掘報告書と奥沢の民俗文化について詳細に調べた報告書である。現在でも埋蔵文化財地域の新築時には事前の発掘調査が義務付けられているので、急なことが多いが見つけたら発掘現場を観察可能である。私も1ヶ月前築地界隈を散策の実地踏査中、発掘調査公開があるのを知り、翌日暑さの中中央区湊に飛んで行った。現場は江戸の町、鉄砲洲と呼ばれた町人町と武家地の境で、当時の石垣やトイレの甕等が掘り出されていた。当時の瓦の破片を頂いてきた。
縄文の諏訪山遺跡は諏訪山通りの両側に存在し、特に旧草津湯(現マンション)側の四つ角近くに多い。また、各史跡毎の簡単な紹介は、『世田谷ふるさとめぐり てくたくぶっく 九品仏コース』に32箇所が掲載されている。昭和59年12月に発足した「玉川地団協」が九品仏東コース17箇所に石標を設置し、子どもたちにわが町ふるさと意識を育て、郷土愛と連帯感を高めることをめざしたもので、地域の方々の手で募金運動が進められ、相談、先行、検討を重ね、建てられたものだそうである(「文集奥沢・東玉川」大橋茂弘氏談)。以前、世田谷在住の牟田悌三氏がお歳をめされ、会長をしていた会を解散したのをたまたまテレビでみたが、あの会と同じ会ではないであろうか?
玉川支所の地域振興係等で販売していたこの小冊子を持って各史跡に建っている石標の文字を鉛筆で拓本にとり、たくさん集めると記念品が貰えるというシステムがあった。多分現在はもう実施されていないと思われるが、ぜひ子どもたちにやらせたい。
石標は立派なもので、どこの場所でも現存していると思うが、その為か他区に比べて世田谷区は説明板の設置が少ないようである。最近歴史散策で文京区、台東区、中央区…とよく訪れているが、どうも城南3区は少ないように感じている。
ここでは今後、祠、稲荷、神社、弁財天、庚申塚、馬頭観音、寺社、渡し、古道、遺跡等から選んで紹介していく予定である。
(赤松章夫)