Category Archives: 奥沢の歴史を訪ねて

奥沢史跡巡り②まちなか観光コース( ⅰ )

まちなか観光コース(ⅰ)【奥沢東地区】奥沢駅→弁天池跡→丸山稲荷→新奥沢駅跡→東玉川神社→馬頭観音→奥沢本村遺跡群→諏訪山遺跡→海軍村→奥沢神社  前回から奥沢の史跡を一つ一つ書いていく予定だったが、昨年末近くに世田谷区観光課主催まちなか観光コースコンテストのよびかけがあったので、急遽参加することにした。結局落選してしまったのだが、奥沢東地区と西地区の史跡と商店街全8ヶ所を巡るコースを作成したので、2回に分け掲載する。 今回は東地区。世田谷百景に選ばれている奥沢駅南口噴水広場を起点に①銀座通りへ。弁天池跡・丸山稲荷・新奥沢駅跡を経由して②東玉川神社へ。その後、馬頭観音を経由して奥沢1丁目へ。登録は8ヶ所に限られていたので、奥沢本村由来碑・愛宕塚等を集め③奥沢本村史跡群としてまとめた。 更に諏訪山遺跡を通過し、目黒線を渡って④奥沢海軍村に。ドイツ村・大ケヤキ通りもまとめる。そのまま⑤奥沢神社…

奥沢史跡巡り③まちなか観光コース( ⅱ )

まちなか観光コース(ⅱ)【奥沢西地区】武蔵国荏原郡菅刈荘世田谷―奥沢、等々力村飛地沖ノ谷、自由が丘(谷畑ヤハタ)  今年の九品仏緑道桜祭りは開花が遅れたが、3週間に渡って花見ができ、連日宴会等で賑わっていた。 元々世田谷区東半分と目黒区西半分は武蔵国荏原郡菅刈荘という源氏の荘園であった。今は九品仏川(丑川・逆川・柳堀)が区境界であるが、南側の旧名は5丁目が奥沢村字鷺ノ谷、2丁目が等々力村字沖ノ谷で等々力村飛び地であった。 対岸の自由が丘は目黒区碑衾町字東谷畑及び谷畑根(昭和4年1万分の1地形図)であり、それ以前は衾村大字谷畑で小字に鷺草の名がと記憶しているが、文献がパソコン内で見つからず明確にできない。明治14年の古地図には衾村としか書かれていない。 この辺りは吉良氏所領で、都立大学駅の東光寺(吉良氏の寺)等自由が丘も鷺草ゆかりの地であった。九品仏川はこの先、桜を切り、ハナミズキを植栽、途…

奥沢史跡巡り④まちなか観光東地区コース( ⅰ )

まちなか観光コース(ⅲ)東地区の史跡紹介  今回からはまちなか観光コース東地区の史跡を紹介して行く。 先ずは東地区から。スタートは奥沢駅南口。ここでは商店街の紹介は省略する。 ①奥沢駅前 ( 噴水 ) 広 場 ― 昭 和 59 年 (1984) 世 田 谷 百 景 № 100 に 選 定 さ れ る。今どきにしてはミニサイズだが、音楽祭や買い物帰り等結構親しまれている。  ②銀座通り・弁天池跡―寿司店の南側半分。弁財天が祀られていて、湧水があった。小さい流れが東横線・目黒線の崖近くから流れ ていたようだが、私の子どもの頃の記憶にはない。東半分に池があり、入り口の銀座通り側は赤土の小山になってい た。縁日には夜店が出ていて、かなりの人が集まっていた。中央に設置されていた虫を集める青紫の灯りが印象的であった。詳しくは2009.1.18発行の土・街・みどり会報に載っている。  ③丸山稲荷―現在の…

奥沢史跡巡り⑤まちなか観光東地区コース( ⅱ )

まちなか観光コース(ⅳ)東地区の続き、本村の墓地、大六天社、横穴墳、諏訪山遺跡(縄文)、防空壕跡地  今回は前回の続きで⑤東玉川神社から。東玉川は昔諏訪分(又は大平分)と呼ばれ、奥沢城大平氏の開拓地区で等々力の飛び地になっていた。旧目黒線が敷かれる以前、奥沢駅南側と北側は玉川村大字奥沢小字諏訪山で あった。今も道路通称名や商店街、縄文遺跡等にその名が残され、奥沢とは関係が深い。私は確認していないが、今もなお諏訪神社が分社され、諏訪山のどなたかの庭に祀られていると聞く。現在も行政上奥沢まちづくりセンターの奥沢東地区として、奥沢西地区よりむしろつながりが多いということもある。 東玉川は山手台地荏原台の先 端近くにあり呑川の崖線を形成し、かなり急な崖をつくり、小さな流れが2本呑川に注いでいる。東玉川神社の 直ぐ裏側は数mの崖があり、呑川の崖線に直結している。こういう地形だからこそ、諏訪神社を祀っ…