その他の城址(ⅵ)江戸氏喜多見陣屋、喜多見城、木田見氏、多摩川洪水 今回は多摩川を少し遡った世田谷の南西部北見にあった喜多見氏陣屋跡・喜多見城の紹介をする。 喜多見城主江戸氏の祖先は古く桓武平氏出身で秩父に住み着いた秩父太郎大夫重弘の五男江戸太郎重継である(12世紀)。その子重長のとき今の東御苑付近に館を構え、一族が関東南部に広く住み着いた。 しかし、14世紀には次第に衰え、15世紀重廉のときに江戸の城館を太田資長(道灌)に譲り、世田谷の喜多見に移り、吉良氏に従った。 北条氏が武蔵野国に進出すると、吉良氏了解の下に北条氏の直接指揮を受けるようになった。天正8年(1590)北条氏滅亡後、江戸氏は姓を喜多見と改め、喜多見五郎左衛門勝重が徳川家康より旧領喜多見村に500石を安堵され旗本になった。関が原戦に参加、2000石に、更に綱吉の頃2万石に加増されたが、分家が争いを起こし、お家断絶となった…