おくさわ今と昔『今』

震災後
 奥沢2丁目 古明地 秀正

第47回 2012.5.6  東日本大震災から1年以上が経過、震災前と震災後の大きな変化には驚くべきものが有ります。震災前私は、「原発」は絶対安全と信じ、火力発電と違いクリーンで安定、将来は供給比率を高めていくべきとの考えでした。今となっては間違っていたと言わざるを得ません。原発事故の終息には何年が必要か、今誰も答えられません。廃炉にも30-40年かかり、使用済み核燃料の回収、保管と処理、目に見えない放射能の恐怖等、生活の不安は原発の周辺に留まりません。原発事故と言う「人災」の最大の罪深さは、福島人が生まれ育った「故郷」へ一生戻れぬかも知れないという恐怖心を持たねばならぬ事です。被災者にどの様に寄り添う事が出来るのか、解決策も思い付きません。今年の夏は電力需給が逼迫すると言われ、節電には協力するとしても、今は兎に角「脱、原発依存」を強く推し進めて行くことが肝心だと思っています。  震災後流…

奥沢の風景
 奥沢2丁目 榎本 敦子 

第48回 2012.8.9  奥沢で生まれた私ですが、結婚してから10年ほど、北の地方に住んでいました。また奥沢で暮らすことになり感じたのは、四季折々の街中のそこここに咲く花や緑の多いこと、特に桜の美しさ、秋から冬の季節の移り変わりの美しさ。  私が住んでいた土地では、桜は名所に観に行くもので、家の周りや街中どこででも見られるものではありませんでした。思えば、学生の頃も桜はそこにあり、当時はアメリカシロヒトリという黒い毛虫が大量発生して、声にならない悲鳴をあげながら、一歩一歩踏まないように歩を進めていました。今は平和に見上げられます。  北の地の秋は短く、雪虫が飛ぶと駆け足で冬が来るので、秋は気分の沈む季節でしたが、奥沢に帰ってきたら、キンモクセイの香り、徐々に色づき落葉していく桜やイチョウや花みずき・・・季節を感じる街歩きは、秋の魅力を再認識させてくれました。  また、最近、姪っ子が踏切…

奥沢の人々
 奥沢2丁目 大房 敏 

第52回 2013.8.6  毎日うだるような暑さの続く今日この頃暑さにもめげず健康であることに感謝しながら毎日仕事に励んでいます。  私のサロンは駒沢店と上野毛店とこの奥沢店と3店舗のサロンを営業しています。奥沢にサロンを構え今年で13年目になります。その中で私の感じた奥沢は人懐こくてどこか穏やかな人が多くいるような気がします。なぜだか考えてみると多分御年配の人が多いのと一つ一つの家がゆったりしていて緑が多いせいなのかと感じます。  私は奥沢六丁目に自宅があり毎朝6時に起き、その日の気分によって九品仏の浄真寺を周り、緑道に出て緑が丘を周り、奥沢神社で御参りをして自宅に戻るというコースと、多摩川の土手に沿って浅間神社で御参りをして田園調布を抜け、自宅に戻るというコースの約1時間のジョギングをしています。その中で一番感じることは、季節はもちろんですが特に女性の元気さと笑顔で挨拶を交わす事で一…

久しぶりの奥沢
 奥沢2丁目 市橋 由利

第54号 2014.2.20  住み慣れた奥沢を1978年に後にしNYに渡ってから早くも35年、母の怪我、病気を機に懐かしいこの町に戻って来ました。世代交代もあるものの、ご近所はお馴染みの皆さん、又昔同様 “ちゃん”付けで暖かく迎えていただいてます。  実際に家の管理をするはめになると、実家に遊びに来ていたのとは大違い、逆カルチャーショックあり、浦島現象ありでエピソードには事欠かない新鮮な毎日です。   NY のマンハッタン島には基本的に一軒家は存在しません。ブラウンストーンとかタウンハウスと呼ばれる3−4階建てのものがありますが、隣の家と壁を共有する形でせいぜい猫の額のような裏庭があったり、と言った具合です。多くの人は高層のコンドとかコープと呼ばれるアパート住まいです。ですからわずかでも庭付きの一軒家は有難く、そこから醸し出される季節感には退屈する暇がありません。あと一つ、殊の外感激して…