第12号 2003.6.22 私は大正13年の暮、小学校の1年生のときに今の土地に引っ越して来ました。前年3月には目蒲線が開通した直後でした。当時奥沢駅の南側には商店も並んでいましたが、駅から北へ向かっては、左側は神社までは広い明電舎の野球グランドが占め、右側は車庫、変電所に次いで蕎麦屋と文房具店が並んでいただけだったと思います。3学期から八幡小学校に通いました。教室は二階建校舎に1,2階合わせて6教室だけで、各学年1学級でした。別棟の平屋に職員室、裁縫室と標本室があり、標本室には人体模型などがあって怖かった記憶があります。 家の近傍では一戸の敷地面積は概ね200坪(600㎡)ぐらいもありましたが、家は殆ど平屋で、堀は主にひばの生け垣でした。当時各戸に通じていたのは電気だけで、水道がなかった、大概どの家も井戸を堀り、大きなタンクを高く設置して家の中に配管していました。我が家では台所に手…